会話してると思っているけど、実はお互い別々の会話をしている件

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同居22年になる義父と義母が、目の前で会話をしています。

 

義父「○斗(彼らから見て初孫であり内孫)は、今度の誕生日で22歳になるんだ!」

義母「そうよ。〇二(彼らから見て二番目の内孫)は今度成人式だったかしら?」

義父「考えててびっくりしたよー!あの初めて抱っこした時は今でも忘れんねえ。」

義母「今年成人式で帰ってくるのかしら。。」

私「お義母さん、〇二の成人式は来年ですよ~。」

義母(まだ〇斗の話をし続けている義父に向かって)

  「あらそう、あなた、〇二の成人式は来年ですってよ。」

義父(義母の話には興味なく

   まだ〇斗が22歳になる驚きを共有、共感したそうで話し続けている)

義母(〇二の成人式が今年だと思っていたけど来年だったことを義父に伝えたいようで

   話し続けている)

 

私(二人の間に挟まれ、2曲の曲調の全然違う曲を聴いている気持ちになり、

  二人の気持ちをどう汲んだらいいか瞬間的に悩み、交通整理をしてもまた事故を

  起こすんだろうな、と思うと話す気持ちが失せて口をつぐむ。)

 

夫(我関せずでもくもくと新聞を読みながらご飯を食べる)

 

会話が全く成り立っていない、分かりやすい例だったので、

ちょっと書き留めてみました。

「孫」という共通のワードだけで、お互いのイメージが全く合わないまま

会話が進んでいる状況なのですが、

実は私たちが毎日やっている会話も実はこんな風にズレズレなのです。

 

いやいやそんなことないよ。

うちはちゃんと会話が成り立っているよ。

と思われる人もいるかもしれません。

 

でも単語一個とっても、一人一人の育った背景の中でその単語のイメージがあって、

そのイメージを土台に話します。

 

だから会話をすればするほど、単語の数は当然増えていくので、

お互いのイメージは全然違うところに行ってしまいがち。

そして自分のイメージも自分で観ることもできませんし、

ましてや相手のイメージを確認することはかなり難しい。

だからズレていることも自覚しにくい。

そんな風に、実は会話をしているようで、

自分のイメージの中だけで会話をしているのです。しょぼーん。

 

そして人間は自分が存在していると思えば

その存在を瞬時に「認めてほしい~」「わかってほしい~」

と思い、相手にそれを求めますが、

日常的にやってしまっている会話が実は成り立っていない。

なので意識または無意識で「分かってもらってない!」を

蓄積し、孤独貯金がちゃりーんちゃりーんと貯まっていくわけです。

 

ではこの会話が成り立たない問題はどうやって解決するのか?

 

解決するのに段階があります。

1番目に大事なことは、もともと人間は別々の宇宙を持っているので、

そのままでは理解しあうことが、かなり難しいことを理解すること。

これだけでも、相手に期待したり失望したりしなくて済むので

心が楽になる人もいらっしゃると思います。

 

2番目に大事なことは、解決策を考えるのではなく、

根本の問題発見をすること。なぜ人と人が理解しあえないようになっているのか?

なぜ人は認めてもらいたいと思うのか?

問題の発見の重要性と難しさはアインシュタインも言ってますね。

問題発見できさえすれば、それを解決するのは簡単なのです。

 

3番目はその根本問題を発見したら、それを突破し(突破の仕方はここでは割愛)、

本当の自分と出会う事です。

本当の自分は境界線のないイメージ不可能な動きそのもの。「すごすぎる自分」。

全てのものとつながっている源泉的な動きなので、

目の前の相手ともオートで一つ♡

 

4番目はその境界線のない源泉的動きから、今この現実がどう創られているのか

その壮大な仕組みを知ること。新しい感覚をつけること。

それを手に入れることで自分の存在すら0化することができ、

そこから相手と出会えるので、相手のイメージを確認することもできるように

なってきます。(^^)/

 

2021年は共に目の前の相手を深いところから理解できる自分になって

そこから変化を創っていきましょう♪

 

今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございます!