鼻の穴が丸いのがコンプレックスだった話

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若い頃って、とても細かなことが気になったりしますよね。

 

自己否定がひどかった話はちょいちょい書いてますが、

具体的に自分の何がどうイヤだったかを、

思い出したので書いてみますね。

 

一つの例として鼻の穴。

当時、憧れの小学校の先生の鼻の形が

ものすごく縦穴で、鼻が高くって

「あんな鼻いいなあ。」

と思って鏡を見ると、

私の鼻の穴はまん丸で

しかもそんなに高くなく、

だから鏡を見るたびに、

すごく憂鬱になっていました。

 

その頃、オリンピックで

日本のシンクロを観ていると、

みんな見事な縦穴式!

そこで私は

「そうか!洗濯バサミをずっとつけてたら

あんな鼻になるんだ!」

と学校から家に帰るとずっと

洗濯バサミを鼻にはめてました。

 

ある程度時間が経って洗濯バサミをはずすと、

しばらくは縦穴になっているのですが、

時間が経つと元の丸穴に戻っている。。。

しばらく続けていたのですが、

結局根本的には変わらなかったのです。

 

そしてもう一つの例をあげれば、

白人の写真やテレビ番組を観ては

「なんで私は目が青くないんだろう?

なんで肌が白くないんだろう?

なんで髪が金髪ではないんだろう?」

と、心の底で勝手に白人すごい!

黄色人種は恥ずかしい!という

判断基準も持っていました。

 

nTech(認識技術)を学ぶようになってからは

人間の脳が勝手に境界線を引き、

優劣を勝手につけてしまう仕組みがわかったので、

今となってはネタになりますね。。

 

そして改めて、このブログを書きながら

環境によって作られた判断基準で

自分の価値が決まってしまうというのを

思っているところです。

 

もし世界の基準が「黄色人種がカッコいい」

というものであれば、

私は白人の事をあこがれはしなかったでしょう。

 

更にもっと言えば、

人間の目は可視光線の光の反射しかみてない訳で、

それを基準に「鼻が縦穴だ」とか「丸穴だ」とか

「太っている」とか「やせている」とか

「シミがある」とか「シミがない」とかの

マルとかバツを人間勝手に決めている訳ですが、

 

もし、人間の目がX線を捉える目だったら

「あなたの鎖骨は美しいですね。」とか

「骨盤が良い形をしていますね。」とか

今とは全く違う基準で生きる事になりますよね。

 

ここで何が言いたいか、というと、

人間のこの5感覚と脳で繰り広げる現実は

部分的な情報に意味価値をつけている状態でしか

ないということ。

 

それを知ってこの現実を楽しむ分には良いですが、

この目の前の現実が「絶対だ」と

思って生きていると、環境に振り回されて

あがったりさがったり大変です。

 

これからは心の時代。

脳の勝手な判断審判に騙されず、

 

まずは本当の尊厳そのものの

私たちになって、

この現実を時空間から設計して

楽しんでまいりましょう!

 

今日も最後までお読みくださりありがとうございました!