あの理不尽は何だったのか

みなさん、こんにちは!

先日、次男にインタビューをしてみて、私自身も子どものころのことを思い出し、これって完全に理不尽なできごとだったな、と思う事があったので、今日はそれを書いてみようと思います。

保育園時代、雨が降ったり、雪が降ったりすると「今日は保育園をお休みしようね。」と母が言って、家でゆっくりしていました。
なので、私の中では「保育園や学校というところは簡単に休めるものなんだ」という判断基準が一段階できあがったと思います。

 

そして小学校に上がってから、忘れもしないあの日。。
私は38.9度の熱を出し、食べたものは全部戻してしまうという状態でした。

 

天気が悪くて休めた保育園時代ですから、当然そんなにキツイ状態だったら学校も休めると思うじゃないですか。そう思っている私に何が起きたかというと。。

母はぐったりした私にランドセルを背負わせ、自転車の後ろに乗せて学校に向かいました。私は何が起きているのか理解ができず、自転車の揺れと熱からくる吐き気にみまわれ「お母さん、気持ちが悪い。」と訴えます。

 

母は通学路わきの田んぼの隅に私をおろし、そこで私は出すものもないのに涙を流しながらウゲウゲします。
そして、そこまでの状態なのだから、絶対に家に帰れると期待したのもつかの間。。。母が自転車を走らせた先は小学校でした。母が鬼にみえた瞬間でした。

 

そんなこんなで母は遅刻や早退はさせても、欠席だけは絶対にさせませんでした。
小学校時代に意外と体が弱かった私は、上記のような出来事を何回も繰り返しますが、
他の同級生たちは「今日は37度の熱でお休みでーす。」というのが普通だったので、「みんなは37度で休めるのに、なんで私は38度超えても休めないんだ?」と疑問に思い、そこから人生は母の思った通りにはしなければならないんだ、と思うようになったと思います。


そのうちに母が12ヵ年精勤賞を子どもにもらわせたいんだ、という目論見がわかりました。自我が芽生えた私は、12年間も休まないような屈強な人を全校生徒の前で絶対にアピールするもんか!!と心の中で叫んで、高校生の時にぎりぎり12ヵ年精勤賞をもらえないように計算して遅刻や早退など繰り返しました。その結果、まんまと12ヵ年精勤賞は受ける事なく、母はすごく悔しがっていました。


時はめぐって私が母になり、長男が皆勤賞を目指すがゆえ、高い熱があっても学校に登校する姿をみて、あの時の母の気持ちがようやっとわかったのです。


母は感情の起伏は激しかったものの、子ども達のことは愛していました。
その母が子どもが熱を出している姿をみて、心を痛めてなかったわけはないと。


ただただ12ヵ年精勤賞をもらうことが、子どもの幸せなんだ!!と思いこんでいた母は(すんごい思い込みだけど)心を痛めながら、必死で私を学校に連れていってくれたのでしょうね。

 

親の良かれは子どもにとって必ずしも良かれではない(良くないことの方が多い)という事例だと思います。子どものことを愛しているが故の行動なのに、子どもから見たら鬼にしか見えないその子育て、残念すぎますよね。。。

そんな残念すぎる子育てを受けた私が今思うのは、人生がなんなのか、人間がなんなのか、生きる事がなんなのか、それが明確に分かったところから、明確な迷いのない今からの時代の新しい子育てが必要だという事です。

なぜかというと今の時代の子育てに正解はないからです。迷い悩み苦しむ子育てを卒業しませんか。

 

子育てに哲学を。お母さん自身もブレずに自分自身も大事にしながら

AIに負けないスーパーキッズを育てて参りましょう。


令和哲学カフェという哲学を無料で学べるサイトがありますので、
ULRを掲載しておきますね(^^)/

reiwaphilosophy.com

 

 今日も最後までお読みいただきありがとうございました。