義母入院によせて
義母が庭先で転倒し、入院してから1週間が経過してます。
87歳になる義母は本当に元気で、ベランダで洗濯物を干し終わった次の瞬間には、庭を掃いてるといった働き者です。
そんな義母なので、ほとんどの家事はお願いして、私は仕事に邁進していた訳ですが(嫁というより、もはや娘状態💦)、
1週間前より生活は一変して、毎度のご飯準備と、義母がいなくなり取り乱している義父の心のケアをしなければならなくなりました。
そこで気づいた事。
昔の私だったら、無意識のアイデンティティが「世界一かわいそうな惨めな私」だったので、
そのアイデンティティから自分の考えが出発して、アセアセと心の余裕がなくなって、仕事の量をセーブして、「本当は仕事したいのに我慢しなければならない可哀想な私が頑張らねばならない」という結論に見事に着地していた事かと思います。
事実、15年ほど前に義母がやはり転倒して自宅療養だった時は、そんな「可哀想な自分」で頑張ってた事を思い出しました。
それが今回は、義母の入院をプラスともマイナスとも思わず、自然に仕事と並行しながら家事を行う自分がいて、めっちゃ意識が広がったんだな(寛容になった、とでも言うのでしょうか)という事を感じています!
この意識が広がった背景には、
時間、空間、存在がどこからどうやって生まれて、いまここ自分が存在しているっぽくみえるのか、というnTechという教育技術(別名、令和哲学)を使えるようになったのが、大きな理由だと思います。
無限の可能性そのものから、今ここの自分までが繋がっており、それがいかに神秘であり、神聖な事なのか。
義母が入院したことは心配なことではありますが、
一方でアイデンティティの変化から、時空間、存在をみずから生み出す自分となった私の変化が嬉しくなった出来事でもあるみたいです。
長期戦になりそうなので、さらにnTechを上手に使えるようにトレーニングしながら、1分、2分も無駄にしないで、自分の命の火を燃やしたいと思います^_^