「自分に自信がない→自信を持とうとする努力」は間違ってる
昔、私は絶対的な自己肯定感の無い自分でした。
背景としては、母が情緒不安定で
いきなり気に入らない事があると怒り出すので、
母の機嫌を損ねないように
合わせて生きていました。
自我の芽生える思春期には
生きてる意味が全くわからないけれど、
死ねないから生きていました。
「自分以外の誰かになりたい」
常にそう思っていました。
結婚し、子どもを持ってから、
母親が自己肯定感が無ければ
子どもも同じように育ってしまう!と思い、
自己肯定感をつけるためにいろいろしました。
英会話教室に通い、TOEIC290→730まで頑張ったり
成功哲学読んだり、
滝行したり、写経したり、PTA活動したり、
NPO入って社会貢献してみたり。
時に自信にはなったけど、根本解決にはならなかったんです。
一生このままなのか、と半ばあきらめたところ、
出会ったのが認識技術nTechでした。
この現実画面がどう成り立っているのか、
私たち人間がどこからどう来ているのか、
どこへ向かっているのか。
それが信じる世界ではなく、一つ一つ理解をしていく世界で
「絶対尊厳」にたどり着いたのです。
誰も侵すことができない、永遠不変、不生不滅の終わりなき動き。
すべてが生み出されているところそのものが自分だったのだという
大きな気づき。
自己否定も自信があるとかないとか、そんな事が
本当にちっぽけにちっぽけにちっぽけに見える境界線のない自分。
そこから今ここを創り出しているのが「本当の自分」だった、という
言葉にならないほどの深い感動。
この小さな体の人間で、「自信がない→自信を持とう」と頑張ったことは
×から〇の変化に過ぎず、ひとつ×から〇に変化をさせたとしても
すぐに脳は×を見つけてきて〇にしたくなる。そんなもぐらたたきみたいな
ことだったのです。
無限の可能性がどういうものか明確に理解し、
自分がその無限の可能性そのものだと思ったら
自己否定さえ愛しく思える、そんな変化を共に起こしていきたいですね。
最後にnTechがどういうものかわかりやすく表現されている動画が
ありますのでご紹介しますね。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございます!